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教養総合 News&Topics 教養総合Ⅰ オキナワ実地調査報告

 教養総合Ⅰ(フクシマ・オキナワを通して近代化・科学技術を考えるコース)は、12/21~25にかけて沖縄県において実地調査を行いました。

 1日目は那覇空港到着後、県内で平和学習事業を展開している㈱さびらのファシリテーターのみなさんと合流した後に、アブチラガマを見学しました。また、ひめゆり平和祈念資料館にて、「ひめゆり学徒と友達になるワークショップ」を行い、私たちと同じような普通の生徒たちがなぜ「軍国少女」になってしまったのか、考察しました。さらに荒崎海岸にて実際の証言に基づいて、当時の様子を再現し、どのような選択肢をとれば助かるか、その場で実際にロールプレーを行ったうえでディスカッションをを行い、どのような選択肢をとっても死が待っていたという解説を受け、それこそが「戦争」である―戦時下ではルールがルールとして機能しなくなるという戦争の本質を学びました。

 夜のふりかえりでは、なぜ沖縄戦を学ぶべきなのか、なぜ記憶を遺すべきなのか、「何もない場所」のように見えるガマや海岸で実際に起こったことをどのように伝え続けることができるのか、どうすれば「風化」に抗うことができるのかといった議論を進めるうちに、「何もない場所」のように見える荒れ果てた帰還困難区域の中では、昔確かに人々がそこに住んでいたという「小さな物語」があった―しかしながら、それらが急速に失われ、むしろ「何もない」こと自体が日常化しているという福島の浜通りの現状と沖縄の77年前を重ねて考える生徒もいました。

 2日目は前日の議論をふまえつつ、平和の礎、都道府県の碑、国立戦没者墓苑をフィールドワークし、「今、私たちは沖縄戦をどのようにとらえているのか」という観点から、それぞれの碑が作られた意図を学びつつ、碑文を読み解き、慰霊のあり方について考えました。

 その後沖縄市に移動し、実際にコザのまち歩きをしながら、沖縄戦後の収容所時代からコザ暴動、本土復帰の歴史を学び、嘉手納基地を一望しながら、米兵が現在どのような生活を送っているか、説明を受けました。さらに美浜のアメリカンビレッジを歩きながら、基地返還後の跡地利用のありかたについて学んだ後に、上大謝名さくら公園にて基地の真横で人々がどのように生活しているか体感しました。最後に普天間基地を一望することができる嘉数高台にて、嘉数の住民が戦争前・戦時中にどのように生活していたか、その後に普天間基地がどのように創られたか、基地があるという「日常」をどのように考えればいいのかという観点から考察を深めました。解説を聞いている間も周囲をヘリが周回し、何度も話が中断するなど、あらためて沖縄が日々向き合わざるを得ない毎日を体感することとなりました。

 夜のふりかえりでは、沖縄の基地問題に関する様々なカードを用いながら、自分自身がどの視点から様々な問題をとらえ(肯定的/否定的、国の目線/地元の目線)、自分事としてどのようにこれらの問題に関わることができるかというワークを行いました。それをふまえたうえで、フクシマとの構造的類似性がどこに見られるか、フクシマ(震災後11年)がどのようにオキナワ化(復帰50年)する可能性があるのか、それにどのように抗うことができるのか、それぞれの立場から考えました。

 3日目は、ふたば未来学園の生徒と合流したのちに辺野古の集落を散策し、収容所時代からベトナム景気を経て、現在辺野古の街がどのようになっているか、目の当たりにしました。その後、基地建設に反対する住民運動を始めた西川征夫さんと辺野古の活性化を唱える元商工会長の飯田昭弘さんにお話を伺いました。生徒たちは容認派VS反対派というわかりやすい二項対立ではなく、日米安保という大きなものに巻き込まれていった住民たちのアンビバレントな思いに耳を傾けつつ、私たちがどのようにこの複雑性を伝えていくことができるか、改めて思考を深めました。生徒たちからは、振興策の一部として誘致された国立高専に関する質問や、核抑止力など幅広い質問が出ました。

 午後は実際に埋め立てが行われようとしている大浦湾でシーカヤックを行い、沖縄の自然を存分に楽しみました。また名護市議の東恩納琢磨さんの案内で実際に土砂投入が行われている現場を一望しながら、埋め立てをめぐる環境アセスメントや裁判を通してわかってきた様々な欠点について、お話を伺いました。

 さらにハンセン病の回復者のみなさんが生活する沖縄愛楽園で学芸員の鈴木陽子さんから常設展示の解説を受けました。人々が沖縄戦時にどのように隔離され、どのような生活を送っていたか、多くの方が壕の採掘時に亡くなったにも関わらず、なぜ平和の礎に名前が刻まれていないのか、アメリカ占領下にどのような政治的方針の影響を受けたのかなど、本土のハンセン病隔離施設とは異なった沖縄ならではの隔離政策がどのように展開されたか、学ぶことができました。夜のふりかえりでは、全員がこの3日間を通して感じたことをアウトプットし、予定時間を大幅に超えてふりかえりを終えました。

 4日目は、沖縄の観光のあり方について、海洋博公園を散策しながら、どのように「沖縄イメージ」が創られていったか、学びました。また、午後に海洋博公園から「映える象徴」として被写体となっている伊江島に渡り、伊江島における観光産業の作られ方について、元伊江村議の山城克己さんからお話を伺いました。午後からは実際に民泊に入り、生徒たちは各家庭で伊江島の良さを満喫しました。

 5日目は、伊江島から那覇に戻り、最後は新都心(おもろまち)のシュガーローフヒルで、沖縄戦・アメリカ占領下・復帰後・現在とこれまで学んできたことを総ざらいしたうえで、東京に戻りました。

 生徒たちはこの5日間で学んだことをふまえ、私たちが何を伝えることができるか、これから模索していくこととなります。改めて、今回の実地調査でお世話になったみなさまに深く感謝いたします。

                (文責:引率教諭 川北慧)

荒崎海岸にてワークショップ
上大謝名さくら公園にて基地との近さを体感
土砂投入が行われている大浦湾にて東恩納琢磨さんのお話を伺う
沖縄愛楽園にて学芸員の鈴木陽子さんのお話を伺う
夜のふりかえり
伊江島にて民泊受け入れ民家さんと